吽形の狛犬

鳥居

阿形の狛犬

手水舎

 古くは天大将軍社と称した。遠く平安の昔この里に疫病が流行した折、村人がその沈静を願い大将軍を祀ったのが始まりと伝えられる。
 現在の社殿は室町中期に近江守護職佐々木六角氏が武運長久を願い渋川神を勧請奉斎したもので、応仁2年(1468)建立の棟札が残る。
 全体に細身造りの中にも風雅な趣を湛え室町の作風をよく今に伝えている。
 明治2年ご祭神名に因み伊砂砂神社と改称、大正11年国の重要文化財に指定された。

境内社の稲荷社

境内社の八幡宮

恵比寿神・大黒神・福禄寿を祀っている

福寿殿

 中山道は木曽路とも呼ばれ、日本の脊梁中部山岳地帯を貫く街道で、五街道の中でも東海道に次ぐ幹線路であった。
 その里程は、江戸日本橋を基点とし、上毛高崎宿を経由、碓氷峠に至り、浅間・蓼科山麓の信濃路を辿り、塩尻峠を越えて御嶽・駒ヶ岳間の木曽路を降り、美濃路を西進、関ヶ原から近江柏原宿に至り、湖東の鳥居本・愛知川・武佐の各宿を経由南進し、守山宿を後に東海道草津宿に合流するもので、この間の宿駅は67宿を数えた。
 草津には、笠川を経て渋川に入り、葉山川を渡り、渋川・大路井の街並を通過したのち、砂川(旧草津川)を越えて草津追分に至った。
 なお、中山道分間延絵図によれば、渋川には梅木和中散出店小休所・天大大将軍之宮(伊砂砂神社)・光明寺ほか、大路井には一里塚・覚善寺・女体権現(小汐井神社)ほかの社寺仏閣、各所が街道沿いに存した。
 (草津市教育委員会)

 一間社流造、檜皮葺
 伊砂砂神社の草創は明らかでないが、名称は明治2年からのもので、古くは天大将軍社と称された。
 建物は棟札により応仁2年(1468)に建立され、元禄4年(1691)に修理を受けていることがわかる。軸部は当初材を良く残しているが、軸廻りや縁、高欄、脇障子などの造作材は、大正時代の修理によるものである。
 小規模な一間社であるが、母屋は内部を内外陣の2室に区画し、正面に向拝を付ける。組物は三斗組、妻飾りは豕扠首組(いのこさすぐみ)として、母屋には三方に縁、高欄を巡らし、脇障子が取り付く。
 この本殿は建立年代が明確で、木割が細く、正面の建具を吹寄せ格子戸とすなど軽快な建物で、室町時代後期の本殿建築を知る上で貴重である。
 (滋賀県教育委員会)

伊砂砂神社本殿説明

伊砂砂神社由緒

神社前の街道に建つ中山道案内

御神木のもっこく

遥拝碑

鎌倉時代の自然石の平積石垣

応仁2年(1468)の一間社流造檜皮葺で国の重要文化財となっている

神門

吽形の狛犬

阿形の狛犬

伊砂砂神社本殿

拝殿内部

拝殿

拝殿に掛かる伊砂砂神社の扁額

草津市渋川合併記念碑

伊砂砂神社社標

神社横の街道に面した石垣

境内社の天満宮

社務所