揚柳山と号する本山修験宗、聖護院門跡の末寺である。
 平安時代の859年、仁明天皇の第四の宮、人康親王を開山として創建され、この辺りが 「四の宮」 と呼ばれる所以となったと言われている。また、「泉水町」 という当地の町名は、その頃、ここに大きな泉があったためとも伝えられる。
 更に、人康親王の庵が山科御所と呼ばれていた名残りが、京阪電車の四の宮車庫辺りを 「堂後町」、当寺の南を 「垣の内町」 及び 「南河原町」 という町名に見ることができる。
 度々の戦火にかかり荒廃したが、1655年、霊夢を見た明正天皇によって再興された。明正天皇は後水尾天皇と東福門院の第二皇女で、当寺の本尊である聖観世音菩薩に特に信仰が厚く、遺言により、自身及び父母の位牌が当寺に安置され、菩提寺勅願所として36石の禄と数々の宝物が下賜された。
 境内の東北隅の木の下に、開山人康親王の廟があるほか、宮中に代々伝わり、人形の原形と言われている天児、愛玩の人形這子、天皇直筆の文書である宸翰、庭石の短冊石などを蔵している。
 また、毎年11月3日には本山の御親修により、天下泰平・家内安全諸願成就の護摩法要が行われる。

十禅寺由緒

墓碑

大峰登山三十三度供養碑

大峰登山三十三度記念碑

人康親王御墓宝篋印塔

仁明天皇皇子人康親王御墓標柱

人康親王廟

人康親王御墓標柱

人康親王廟への参道

十禅寺本堂

観音堂

手水舎