当社は天慶9年(906)蝉丸を主祭神として祀られております。
蝉丸は盲目の琵琶法師と呼ばれ音曲芸道の祖神として平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものです。その後、万治3年(1660)現在の社が建立され、街道の守護神猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしてあります。
これやこのゆくもかえるもわかれてはしるもしらぬもあふさかのせき 蝉丸
大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用されてきました。江戸時代中期の安永8年(1778)には牛車だけでも年間15,894輌の通行がありました。この区間は、大津側は逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所でした。
京都の心学者脇坂義堂は、文化2年(1805)に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12㎞の間に牛車専用道路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てました。これを
「車石」 と呼んでいます。
車石説明
蝉丸神社由緒
轍が刻まれた車石
神門
拝殿内部
拝殿
手水舎
参道石段
轍が刻まれた車石
吽形の狛犬
阿形の狛犬
蝉丸神社社標
元文5年(1740)の蝉丸大明神常夜燈
蝉丸宮御神燈
明治廿七八戦役戦死者紀念碑
境内社の皇大神宮社
幣殿・本殿