社伝によれば人皇第50代桓武天皇の勅命により其地鎮護の神として4座の神を仰ぎ奉らせ給う今の四宮の社であります。
 当社は歴代国司の崇敬を受け、文禄4年10月近江守源朝臣高次より当郷の内30石の地を寄付せられ、また元亀年中の御遷宮につき佐々木家より造営寄進あり。豊臣秀吉公の大津城築城以来全城下の鎮護神として当時の摂家たる近衛家の尊崇殊の他篤く、文政13年庚寅年6月拝殿拝所の造営に預かったのであります。
 例祭を10月10日にして曳山13本祭礼の行粧として綾羅錦繍の惟帳を垂れ、笛鉦鼓を以て囃し、種々の木偶人を載せて機械の巧みを為し、所望と云うて機者に乞うことあれば、諾して傀儡をなし氏子の町々を巡行するその美観壮麗は大津祭と称し、湖国一の大祭であることは人の良く知るところであります。
 当社は元四宮神社または天孫第四宮大明神とも奉称せしを明治維新の際、単に天孫神社と改称したのであります。

境内社の輻輳神社

八幡神社・春日神社・大神神社・八百万神社・蛭子神社・金山彦神社・稲荷神社・日吉神社・住吉神社・猿田彦神社

境内社

彦火火出見尊 ・ 国常立尊 ・ 大名牟遅尊 ・ 帯中津日子尊を祀っている

境内社の福富稲荷神社

天孫神社由緒

矢大臣

天孫神社本殿

左大臣

手水舎

舞殿

舞殿内部

境内社の日若宮

境内社の天満宮

拝殿