天正13年(1585)豊臣秀次が八幡山頂に築城、本能寺の変で主なき城下町となった安土の町を移し、翌年、八幡山下町掟書を公布、縦12通り、横4筋の区画整然とした城下町が誕生。しかし、開町から10年、廃城となるが、その後は商業都市として栄え、北は北海道、南は九州、遠くは東南アジアまで活躍した近江商人の一つのふるさとでもある。
 今なお、碁盤目状の町並みは旧市街によく残され、特に新町や永原町には近江商人の本宅であった家々が建ち並び、八幡掘に面した土蔵群等、往時の在郷町としての繁栄を窺い知ることが出来る。
 現在、伝統的建造物群保存地区の指定を受けたこの町並みは、未来の都市空間の中に継承すべき貴重な文化遺産であり、近江八幡の心のよりどころである。

道標

近江商人のふるさと説明

あきんど道標柱

新町通りは観光客も多い

新町通りの両側に建ち並ぶ旧商家

旧商家の町並み

左京街道(朝鮮人街道)  右町なみ新町通り