当寺は弘法大師を宗祖とし、高野山金剛峰寺を本山とする高野山真言宗のお寺です。正面に本堂、御本尊は 「千手子安観世音菩薩」、右に大師堂、左に不動堂を配します。聖徳太子御建立49院の一つであり、その当時にあっては壮宏たる七堂伽藍でありました。
 抑も長光寺の由来は、聖徳太子が老蘇の森に假寓された時、高階の妃御難産の為、太子は妃に佛法を信じ佛の加護を祈りなさいと諭されました。妃はひたすら諸佛の慈悲を仰がれたところ、西南の方より佛の使者が来て、「汝が願いは、正しく観世音が救い給う」 と言って飛び去り、妃は速やかに御安産されました。早速太子は使者に行方を尋ねられると、この地に8尺の香木と霊石がありました。霊石は5色に輝き、光明の中より千手観音の尊像が現れ、感激なされた太子はこの霊石の上に本堂を作られたのが始まりです。
 霊石は今も安置されております。この時、太子は出現された千手観音の尊像を香木に彫刻し御本尊とされました。
 故に、今日に至るまで安産の佛様として崇拝されております。この地を記念する為、太子が香木の余枝を御宝前に植えられたのが、ハナノキ(花の木)です。4月上旬には小さな可憐な赤い花が咲き、11月中旬には紅葉が見事です。
 戦国時代には戦火に飲まれ焼尽するところとなりましたが、宝暦年間(1753)玄廣木食上人に依って再興され寺域を今の一小区域に定め現在に至ります。
 びわ湖百八霊場75番、准四国霊場76番に属します。

長光寺縁起

推定樹齢600年のハナノキ

弘法大師像

五輪塔

十三重塔

山門石段脇の水盤

近江湖二十七名刹霊場の表札を掛けた山門

山門に掛かる補陀洛山の扁額

不動堂内陣

不動堂・不動明王の扁額

不動堂

五輪塔・石仏群

霊場四国八十八所参詣道の仏像

鐘楼

大師堂内陣

大師堂の扁額

千手子安観世音菩薩の提灯が下がる本堂正面

長光寺本堂

手水舎

大師堂