武佐は昔 「牟佐」 又は 「身狭」 の字を使ったが江戸時代よりこの 「武佐」 をつかう。蒲生郡第一の賑わいを見せ、中山道の大きな驛として、人馬の継立は人夫50人、馬50駄を常設、本陣・脇本陣各1、問屋2軒を有し、旅籠は23軒あったと言われる。
この絵図は享保13年(1728)6月に輸入された象が翌年(1729)3月、大坂・京都・大津を経て、この武佐宿で一泊した時の様子で、ここは象の通った道として知られている。
(この資料は近江蒲生郡志、東京国立博物館所蔵関西大学図書を参考に、原画は近江八幡市立東中学校の生徒作品です)
中山道六十七番宿場武佐宿説明
武佐宿道標
辻行灯のモニュメント