当寺は、推古天皇2年(594)2月、聖徳太子が武河綱に命じて寺をこの地に建立され、そして阿弥陀仏の像を作り、一堂に安置し、東金堂と名付けられた。これが武作寺広済寺である。
当寺は天台宗に属していたが、嘉禎元年(1235)4月見真大姉が関東から御帰洛の途中立ち寄られた時、寺主が師弟の契りを結び真宗に改宗されたという。(初代大同房了仙)
元暦元年(1184)左近衛中将平重衡朝臣が鎌倉へ護送されるとき、当寺に詣でられ、また康安元年(1361)12月、後光巌天皇が御臨幸60日間ご滞在になられた。
天正15年(1587)本願寺顕如上人は安休房西周に命じて寺嗣とされた(13代)。安休は浅井長政の異母兄で徳川家と姻戚である。明治11年(1878)10月、明治天皇北陸御巡幸、御還幸の際昼食を召され行在所とされる。
また昭和32年(1957)10月、西本願寺門主光照猊下御巡教の節にお立ち寄り賜った。
親鸞聖人像
本堂正面
広済寺参道
山門手前の明治天皇武佐行在所碑
広済寺本堂
鐘楼
経蔵
石仏
明治天皇御聖蹟碑
参道口の親鸞聖人御舊跡碑
広済寺由緒
後光巌天皇碑
広済寺山門