大郡遺跡は、奈良・平安時代(約1300~800年前)に、近江国に置かれた12の郡の内、神崎郡の役所(郡衙)にあたる遺跡です。
 昭和55年からの発掘調査で、遺跡の大まかなようすが判ってきました。遺跡は、東山道(中山道)に面して、大郡神社を中心として東西・南北それぞれ400m程に広がり、その中は溝や柵で区分された掘立柱建物が数棟ずつ、いくつかのグループに分かれて建っていました。特に、神社の周辺が中心部であったらしく、桁行5間(13.5m)・梁行2間(6.1m)の大きな建物などの数棟が計画的に建てられていました。その北側では、倉庫や館などのやや小さい建物と井戸が発見されています。
 遺物には、役人(郡司)が儀式や宴などに使った土器が多く出土し、事務に必要な硯も見られます。また、役所の中心物(庁屋)は瓦葺建物であったらしく、布目の瓦が出土しています。
 「続日本紀」 によると天平16年(744)8月に、神崎郡の長官(大領)に沙々木山君足人という人が勤めていました。以上、大郡遺跡は、奈良・平安時代の行政の中心であり、五個荘町の歴史を明らかにするうえで、重要な遺跡です。
 (五個荘町教育委員会)

社務所

大郡遺跡説明

本殿

神馬

覆屋の中の金毘羅神社社殿

金毘羅神社

大郡神社本殿

神門

拝殿

手水舎

石灯籠の並ぶ参道

大郡神社の扁額が掛かる鳥居

国道8号線に面した境内入口

阿形の狛犬

吽形の狛犬