御祭神 物部布津神
 孝徳天皇の大化5年8月13日物部宿禰広国は、当時勝部村一帯の土地を領有し、その祖神物部布津神を祀り物部郷の総社とし、これを物部大明神と称しました。「三代実録」 に陽成天皇元慶6年10月従五位下の神位階が授けられた物部布津社は当社である。
 中世武家時代に入り、武家をはじめ一般の崇敬も一層高まって参りました。
 近江国守護職佐々木氏は深く当社を信仰し、出陣の旗竿は決まって当社竹林の竹を使用せられ、明応6年佐々木高頼氏は、大願成就祈願のため御本殿を造営されました。
 元亀年間には、織田信長公が、野洲・栗太二郎の起請文60通を当社に納められ、文禄3年8月豊臣秀次公は神田の寄付と御本殿の修理を行われました。

 勝部神社の鎮座するこの地は、昭和16年(1941)までは栗太郡物部村に属し、物部神社(勝部大明神)と称され、物部村の総社として信仰されてきた。「日本三大実録」 によると、祭神は物部布津神(もののべふつのかみ)、宇麻志摩遅命(うましまちのみこと)などが祀られている。
 現在の本殿は、近江国守護佐々木高頼が再建したと伝えられる。棟札から明応6年(1497)に補修されたことや2枚の銘札からも弘治元年(1555)、天正3年(1575)に修理が行われたことが伺われる。規模は間口2間3尺、奥行2間1尺で、一棟の社殿の中に三神殿が置かれ、屋根は檜皮葺、前流れを長くした三間社流造の形式である。
 社殿の造りは、内陣両側の縁を高くした点や精巧な手挟などが優れている。また、肘木の組み方、欄干の形状には力強さがあふれる。室町時代の建築様式の特色をよく示していることから、大正2年4月14日に重要文化財(附銘札2枚)に指定された。
 (守山市教育委員会)

勝部神社由緒碑

勝部神社本殿説明

主祭神は物部布津神(モノノベフツノカミ)

拝殿と本殿

勝部神社本殿

拝殿

手水舎

火祭りの松明

勝部の火祭り看板

鐘楼

顕彰殿

社務所