今宿一里塚は五街道の一つである中山道の一里塚で、江戸日本橋から本県草津宿までに129ヶ所あった一里塚の128番目にあたります。
一里塚は江戸幕府により慶長9年(1604)に整備されたもので、一里ごとに道の両側に5間四方の塚を築き、榎や松を植えて通行の目安としたものです。県内には中山道の他、東海道、朝鮮人街道、北国街道、北国脇往還などに設置されていましたが、明治以降、交通形態の変化による道路拡張や農地、宅地への転用などによりそのほとんどは消滅し、現存するものは今宿一里塚のみとなりました。
今宿一里塚は規模は小さくなっていますが、南塚のみ残り、榎が植わっています。先代の榎は昭和中頃に枯れましたが、脇芽が成長して現在にいたっています。
今宿一里塚は、往時を偲ぶことのできる中山道守山宿の中にあり、近世交通史を知る上で重要な遺跡といえます。
(滋賀県教育委員会)
今宿一里塚跡(南塚)
今宿一里塚説明