本道標が建てられているこの地点は、かつて掟書などが掲げられた高札場の一角であった。道標は、高さ約1.55m、一辺30㎝角の四角柱の花崗岩製の石造品で、中山道側の側面には、「右中山道幷美濃路」、その左側面には、「左錦織寺(きんしょくじ)四十五丁こ乃者満(このはま)ミち」
の文字が刻まれている。
「右中山道幷美濃路」 とは、右が美濃(岐阜)へと続く中山道で、「左錦織寺四十五丁こ乃者満ミち」 は、左の道を行くと人々の信仰を集めた真宗木部派本山である錦織寺(中主町)に至る約4㎞の道程(錦織寺道)であり、それに続く
「こ乃者満ミち」 は、琵琶湖の津として賑わっていた木浜港へも通じる道筋であることを示している。
背面に延享元年(1744)霜月の銘があり、大津市の西念寺講中によって建立されたことが伺われる。石造道標としては古く、また数少ないため、昭和52年(1977)4月30日に民俗資料として守山市の文化財に指定された。
(守山市教育委員会)
真宗木部派本山の錦織寺迄約4㎞、こ乃者満ミち(このはまみち)は琵琶湖の木浜港へ通じる道を示す
左 錦織寺四十五町 こ乃者満ミち
右 中山道 幷(ならびに) 美濃路
延享元甲子年霜月願主
江州大津西念寺 京大坂江戸大津 講中建立
石造道標説明