源内塚説明
平治元年(1159)12月27日、当時13歳の源頼朝は、平治の乱に敗れて、京から東国へ敗走する途中、野路(草津市)あたりから馬上で居眠りをし、父義朝一行からはぐれて一騎で守山に入りました。
その時、源内兵衛真弘らが頼朝首を獲ろうと襲いかかりましたが、頼朝は 「髭切り」 と呼ばれる名刀で源内を一刀両断にしました。
村人たちは源内を哀れんで埋葬し、塚を造ったのがこの首塚です。
また、塚の前にある丸い石は 「伺い石」 と言い、願い事を伺うのに霊験があると言われています。
(守山市教育委員会ほか)
阿弥陀如来 ・ 源内塚の石仏
源内塚を描いた扁額
薬師堂内
手水石
高砂の扁額
薬師如来の提灯とご真言