かつての中山道守山宿の中央に位置している天満宮には、守山市の文化財に指定されている三十六歌仙絵が保存されています。三十六歌仙絵とは、平安時代中期の藤原公任(966-1041)が、平安時代の万葉集、古今和歌集、御撰和歌集に和歌が収めらっれた歌人の中から優れた36人を選定した、「三十六人撰」 で、万葉歌人から柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持の3名が、平安時代前期の古今和歌集や後撰和歌集の歌人からは紀貫之・在原業平・小野小町ら33名が選ばれています。三十六歌仙絵は、三十六歌仙の肖像画に、その人が詠んだ和歌を書き添えたものです。
 長い間、拝殿に掲げられていたため、風化が見られますが、絵は保存状態も良好で、市内では、完全に揃った三十六歌仙絵唯一の例であることと、製作当時の文化を知る上で重要であることから、平成9年4月1日に守山市の文化財に指定されました。

 この絵図は、北境の守山村出水(美戸津川)から、南境である吉川までの守山宿を詳細に描いたものです。
 中山道筋に描かれている屋敷は77軒で、屋敷地の奥行、田畑所有面積、家役および屋号がそれぞれ描かれています。屋敷地はそれぞれ家役によって色分けされ、一目で分かるようになっています。
 問屋は、オレンジ色に彩色され中山道の南側に2軒見えます。問屋とは、人馬の継ぎ立て、休息や宿泊の手配を行う、宿場の代表者でした。大名や公家の宿泊所である本陣や脇本陣が、この絵図の中に見られないことから、当時の守山宿にはまだ置かれていなかったと考えられます。
 絵図の裏側には問屋2名、年寄4名、肝煎4名が連署のうえ 「守山宿の絵図作成を命ぜられ細かく調べましたが、当宿はこれまでと何ら相違ないことを申し上げます。延宝5年(1677)」 との文言が記され、観音寺下代の奥書があることから、草津の芦浦観音寺への報告のための絵図の写しであることがわかります。

天満宮三十六歌仙絵説明

安藤広重画説明

中山道筋御伝馬宿 江洲野洲郡之内守山宿町絵図説明

中山道街道文化交流館

木曽海道六十九次之内 守山

柿本人麻呂画

在原業平画

 この絵(図)4は、歌川広重(1797-1858)の作で、守山宿と加宿今宿の間を流れる境川、通称吉川から描いたものと推定されています。
 山桜が咲き誇る春の守山が描かれ、馬に乗る武士や駕籠かき、天秤棒を担ぐ人など街道を行く人々の特徴がよく伝わってきます。
 江戸時代の守山は、江戸と京・三条を結ぶ中山道の最終67番目の宿場でした
 近江の中山道は、東海道草津宿から分かれて美濃の国境まで守山・武佐・愛知川・高宮・鳥居本・番場・醒井・柏原の八宿がありましたが、その中で守山は 「京たち、守山泊り」 と言われ、京都から江戸へと中山道を行く人々が最初の宿泊地としていたようです。
 木曽海道とは、中山道の別名で、同じく江戸と京都を結ぶ東海道が海側を行くのに対し、中山道が木曽の山々を抜けていくからこう呼ばれてたのでしょう。