本陣跡
この場所は、本陣(小宮山九右衛門)があったと推定されている場所です。江戸時代には、問屋、脇本陣、本陣などの役割を果たしました。文久元年(1861)10月22日、14代将軍徳川家茂に降嫁される皇女和宮親子内親王が御所から江戸城へ向かう旅程で、この本陣に宿泊されています。この場所は、昭和40年まで特定郵便局兼局長宅でしたが、平成16年(2004)に取り壊されました。
謡曲「望月」
「望月」 は、室町時代末期(1500年代後半)に、古来宿駅として、貨客の往来が盛んであった木曽街道(中山道)の守山を舞台に仇討ちを題材にした創作物語です。「望月」
は、信濃の住人・安田荘司友春の妻子が、元家臣である甲屋の主人・小沢刑部友房とともに、仇敵の望月秋長を討つというあらすじで、登場する人物はすべて架空とされています。
また、その舞台になった宿 「甲屋」 も、「近江輿地史略」 享保19年(1734)や皇女和宮降嫁の文久元年(1861)の事前 「宿屋」 調べにも記載がないことから、架空の宿と考えられます。
(守山市教育委員会ほか)
本陣跡・謡曲「望月」説明
井戸跡説明
井戸跡
本陣跡推定地
この井戸は、天保4年(1833)の宿場絵図に記載され、それ以前から存在していたもので、他にもあったとされるが、現存しているのはこの一基だけです。守山宿は、野洲川の旧河道がつくった自然堤防という微高地のため、用水路がなく、宿場の防火や生活用水に使用されたと思われます。
平成2年の市教育委員会との合同調査では、井戸は漆喰の枠が、6段積み重ねられ、さらに数段が土砂の流入で埋まっていることがわかりました。上部の石組は、一辺90㎝で四角形に組んでいて、盤石は、後世に載せたようです。
この石組は、もともと西に20m行った所のコの字型になっている所にありましたが、平成18年から平成21年の側溝工事に伴い、中山道守山宿歴史文化保存会・中山道ろくはち会・中央商店街がこの地に移転保存したものです。
守山宿の往時の生活を知る貴重な遺産です。
(中山道守山宿歴史文化保存会)
中山道守山宿標柱
本陣跡碑