当神社の創建は、古く白鳳朱雀年間(皇紀1310年頃西暦650年頃)何れも戌年に、この羽賀の地に御降臨になり、田中大明神を崇められ、往古より例祭は4月第2の戌の日に執行され、渡御の神賑わいとして五穀豊穣の古式踊が奉納された。慶長年間、祭禮の際氏子間に闘争があり、神輿を破損し羽賀の田に埋め、神輿塚と称し祭事が営まれてきた。
当社が田中大明神・田中天王と崇められるのは、馬路郷田中荘(今の吉身・守山・播磨田・金ヶ森・小島・市三宅等)の総鎮守にして、この森を 「天王の森」
「鶴の森」 と称した為で、平安朝の延喜式神明帳の中に見える古社であり、この社の神使は、白犬とされる。
元亀天正の頃、この付近軍馬の蹄に汚され、社殿・神宝・古記類等を焼失、現在の社殿は江戸末期に再興され明治14年郷社に列せられる。
シイの大木
シイの大木は境内に5本ある
馬路石邊神社由緒碑
住吉神社 ・ 神明神社
事代主神社
拝殿内部
拝殿
手水石 (石邊の醴泉)
参道途中の鳥居
茅葺屋根の神門
神門に掛かる石邊神社の扁額
愛宕神社
山王神社 ・ 八幡神社
境内社の興福稲荷神社
馬路石邊神社本殿
神門から本殿を望む
阿形の狛犬
神門(中門)
吽形の狛犬