この石は九山八海の岩がある小篠原木瓜(ぼけ)山にあったといわれ、形が虎によく似ていることで名付けられたと伝えられている。
 風流好みであった足利将軍義政(1436-90)が、京都東山に銀閣寺を造るとき、この石を持ち去ろうとした。
 野洲川原まで運んだが、そこからは動かなくなり、仕方なく元の方へ動かしてみると、たやすく返すことができた。
 そこで旧地に帰りたいのであろうと引き返したが、ここまで来ると再び動かなくなってしまった。
 それから 「動かしてはならない石」 とされ、当寺に預けられ今日に至っている。

観音堂

虎の石

虎の石由来

鐘楼脇の地蔵尊(石仏)群

顕了寺本堂

鐘楼