中山道は、東海道に対し東山道、あるいは中仙道と呼ばれた時期がありましたが、その歴史は古く、大化の改新以前から存在する重要な道であったことを示す文献が残されています。
ところが、新しい道路に役目を取って代られ、中山道が千数百年もの長期にわたって果たしてきた大切な役割を知る人は年々少なくなっています。
この案内板の西、約180mの所は江戸時代に朝鮮の外交使節を迎えた朝鮮人街道との分岐に当たり歴史的に意義深い場所であり将来に永くこの意味を伝え、この道がいつまでも町民に広く親しまれ愛されることを目指して修景整備事業を実施しました。
外和木の標の名前は、この土地と朝鮮人街道との分岐点の地名が小篠原字外和木であるので名付けたものです。
(野洲町)
中山道野洲の常夜燈モニュメント
(守山宿← →武佐宿)
中山道・外和木の標説明