創祀不詳。神社縁起書によれば、天智天皇壬申の乱に野洲川原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石城村主宿弥が福林寺を建立、その守護神として天暦2年4月に伏見稲荷大明神を寺域小篠原氏神として崇敬されたと伝える。のち永禄年間の争乱で福林寺の伽藍は衰亡し、当社と福林寺の一宇真福院のみが残った。
 寛永10年松平陸奥守より禁制を与えられ、元禄16年8月27日、志礼の地から現在地沢ノ口へ社殿が遷座された。同時に正一位稲荷大明神の宗源宣旨を受けている。享保14年には松平家の京屋敷中門が当社へ奉納移建された。明治41年村社を指定され、大正3年5月、十二所神社、三神社、大神社、岩神神社を合祀した。うち十二所神社(古宮神社)は、廃寺福林寺本堂の上座にあって一山の護法守護神として崇敬されていた由緒をもち、昭和25年重文の指定を受けている。

若宮神社

神門

参道

国道8号線沿いの二の鳥居

拝殿

稲荷神社由緒

稲荷神社本殿

薬弘稲荷社

手水舎

愛宕神社

稲荷神社本殿

古宮神社 (重要文化財)

由緒碑

元文3年(1738)の御神燈

御神木

街道脇の御神燈

拝殿内部

吽形の狛犬

阿形の狛犬