時の流れは、この場所に様々な変化をもたらしました。ここには、現在とは異なり、川底が周辺家屋の棟の高さまでにもなった 「天井川」 の家棟川が流れていました。そのため、ここを通行する人々や車馬は堤防に上がり大変な苦労をしながら川を渡っていました。
大正6年(1917)の大正天皇陸軍大演習視察の行幸にあたり、「天井川」 の下に突貫工事でトンネルが掘られました。そのトンネルは 「家棟隧道」
と名付けられました。
以来、「家棟隧道」 は、昭和28年の国道8号の開通まで中山道として国土の幹線軸の一端を担って来ましたが、家棟川の切下げ工事を機にその歴史的な価値を惜しまれつつも、通行の安全性などに配慮して撤去されました。
「天井川」 とは・・・
主に江戸時代、上流の山地部で多くの樹木が伐採されましたが、伐採後の植林等の適切な処理がされなかったため、山地が荒廃して、土砂(風化した花崗岩)が豪雨のたびに下流部へ流出し、川底が上昇してできたものと考えられます。
上流の山は風化の進んだ花崗岩質の地質性状なため、出水時には大量の土砂が流れ出し、家棟川は河床が周辺地盤より高い 「天井川」 を形成していました。そのため、過去幾たびかの堤防決壊等により大きな被害も生じており、治水安全度が極めて低い状況でした。
この家棟川による被害から住民のみなさんの生命・財産を守るため、平成7年度より整備を進め、国道8号の上部を通過していた 「天井川」 の河床を最大10m切下げ、平成19年度に平地河川化が完了し、家棟川の治水安全度は大きく向上しました。
家棟川と隧道の歴史
家棟川新橋橋標
家棟川
家棟川砂防事業の概要