当神社の創始年代は不詳であるが、主祭神天日槍尊(あめのひほこのみこと)は日本書記による新羅国の王子にして垂仁天皇3年の御世(BC31)来朝し、多くの技術集団(陶物師、医師、薬師、弓削師、鏡作師、鑄物師など)を供に近江の国へ入り集落を成し、吾国を育み文化を広めた祖神を祀る古社である。
 天日槍は持ち来たる神宝の日鏡をこの地に納めたことから 「鏡」 の地名が生まれ、書記にも 「近江鑑の谷の陶人は即天日槍の従人なり」 と記されている。鏡山の麓は渡来集団に関わる地名も多く須恵器を焼いた古窯址群も広く現存する。
 延喜の御世には大嘗会に鏡餅を献上した火鑚の里であり、鏡路は鏡山と共に万葉の歌枕として150余首詠まれ、宮廷巫女の歌人額田王や鏡王女にも所縁の地である。現社殿は室町時代に再建された三間社流れ造りにして屋根は 「こけら葺き」 の貴重な建築様式は国の重要文化財である。
 承安4年(1174)牛若丸こと源氏の遮那王は京都鞍馬から奥州への旅路、この鏡の宿に泊まり境内宮山の石清水を盥に汲み自ら烏帽子をつけ元服した。鏡神社へ参拝した16歳の若者は 「吾こそは現九郎義経なり」 と名乗りを挙げ源氏の再興と武運長久を祈願した武将元服の地である。以後、石清水は源義経元服池と称し現在も清水を湛えている。義経公を偲ぶ 「とがらい祭り」 は11月二の午夕刻に男児を主役に斎行される。
 大正6年、当地宮城一帯における特別大演習を大正天皇御統監のみぎり鏡神社宮山に行幸あそばされ、御親拝の栄に浴す。以後宮山を御幸山と称し、自然公園として管理される。

鏡神社由緒

天明4年(1784)の常夜燈

源義経元服の地の幟

徳化学校跡碑

祓戸ゝ神

境内社

街道に建つ鏡神社社標

社務所?

幣殿から本殿を望む

手水舎

拝殿

神額に屋根の付いた鳥居

三間社流造りのこけら葺で国の重要文化財に指定されている

神門

拝殿内部

鏡神社社標

烏帽子掛けの松

吽形の狛犬

阿形の狛犬

 源義経が元服後、参拝したときに鳥帽子をかけたとされる松。明治6年台風で倒れたため株上2.7mを残し石垣上に仮屋根をして保存されている。

本殿左側の境内社

本殿右側の境内社

鏡神社本殿