天保3年(1833)の無賃橋標柱
天保の初め、彦根藩は増水時の 「川止め」 で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに費用を広く一般の人々から募らせ、橋を架けることを命じた。 当時、川渡しや仮橋が有料であったのに対し、この橋は渡り賃を取らなかったことから 「むちん橋」 と呼ばれた。 (高宮街づくり委員会)
むちん橋説明
犬上川
高宮橋(むちん橋)脚下から見つかった地蔵尊
無賃橋親柱
地蔵堂