建久元年(1190)10月3日に鎌倉を出発した源頼朝は、鎌倉幕府と朝廷との問題解決のため京都に向かった。上洛の途中芹川の渡し付近で頼朝は気分が悪くなり、静養のため千本原の九我弥九郎宅に滞在した。九我弥九郎はかつて鎌倉で、頼朝に仕えていたが縁あって千本原に隠居した人である。弥九郎は頼朝を案内し、十分静養させ回復に導いた。
鎌倉時代流行していた地蔵信仰により、病を癒すため富之尾村の長福寺(瑞光寺と改称)の地蔵菩薩に祈願をしたとき、壇を築いた場所が現在の大堀家の地蔵堂の小祠である。
(大堀町史跡顕彰委員会)
大堀家の庭へ入る門
大堀家の庭に建つ地蔵堂
大堀家の地蔵堂説明