祭神、第16代応神天皇とその母神功皇后(息長帯姫命)
 石段を登った亀甲山の山腹に鎮座する石清水神社は、古く飛鳥時代からこの地にお祀りしている神社で、武勲守護の神、また安産の神として参拝、祈願する人が絶えない。祭神の神功皇后は、応神天皇を胎内に宿しながら三韓との戦いに出陣、肥前国(佐賀、長崎県)松浦で無事安産されたといういわれから安産祈願 「鈴の緒」 を拝受する人が多い。
 本殿の建築時代は不詳、拝殿は明治9年5月改築、大祭は春(4月)秋(10月)である。
 (大堀町史跡顕彰委員会)

豊かなる時にあふぎのしるしとこ
  ここにもきたの名を残しおく

 以前は扇塚と面塚とが一対になって建っていたそうだが、今は扇塚だけが残っている。井伊藩は、代々能楽の発展に力を入れて来たので、彦根には能楽を学ぶ人が多くあった。喜多古能は、門人の養成に力をそそぎ、彦根を立ち去るとき、扇子と面を残していった。
 それを埋めた記念の塚がここに建てられてのである。

 能楽喜多流(北流)は、江戸時代井伊藩の手厚い保護を受け、この地で発展した。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち数年間彦根にいて多くの門人の育成と能楽の発展に力を尽くした。いよいよ彦根を去り江戸に帰るとき、門人たちの所望に応じて記念に 「面と扇」 を与えた。その面影を残すために、門人たちはこの地に塚を建てたのである。もともと一対だったと思われるが、面塚の行方はわからない。
 右側面 享和元年(1801)酉夏喜多古能
 左側面 豊かなる時にあふぎのしるしとてここにもきたの名を残しおく
 (大堀町史跡顕彰委員会)

扇塚説明

扇塚説明

石清水(岩清水)神社由緒

色づき始めたモミジ

拝殿に掛かる正一位石清水大明神の扁額

拝殿

段上に建つ鳥居

階段脇の石灯籠

石清水神社社標脇の石灯籠

豊かなる時にあふぎのしるしとてここにもきたの名を残しおく

享和元年(1801)の扇塚

御神木の杉

寛政5年(1793)の常夜燈

神門

阿形の狛犬

石清水神社本殿

吽形の狛犬