江渡時代 「米屋」 という屋号の旅籠で、ここに住む岩根治右衛門は、若い頃より直弼の絵の師匠である中島安泰に学び、直弼から自分に自然であるようにと自然斎(じねんさい)の号を賜り、絵付け師として精進していました。
 安政3年(1856)には普請方の許可を得て、民間で湖東焼の絵付けを行っていましたが、街道の往来が少なくなった明治初期に安曇川に移り明治10年(1877)に亡くなりました。
 建物内はかつての旅籠の風情を残しています。

湖東焼「自然斎」旧宅説明

湖東焼「自然斎」の手前の連子格子の家

湖東焼「自然斎」旧宅

湖東焼「自然斎」旧宅の先にあるデイサービスセンター鈴の音