江戸時代、磨針(すりはり)峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていた。峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら 「するはり餅」 に舌鼓を打った。
参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また幕府の和宮降嫁の際も当所に立ち寄っており、茶屋とは言いながらも建物は本陣構えで、「御小休御本陣」 を自称するほどであった。その繁栄ぶりは、近隣の鳥居本宿と番場宿の本陣が、寛政7年(1795)8月、奉行宛てに連署で、望湖堂に本陣まがいの営業を慎むように訴えていることからも推測される。
この望湖堂は、往時の姿をよく留め、参勤交代や朝鮮通信使の資料なども多数保管していたが、近年の火災で焼失したのが惜しまれる。
望湖堂跡の石垣
遠くに琵琶湖を望む
望湖堂跡
望湖堂跡
明治天皇磨針峠御小休所碑
中山道碑
望湖堂跡説明