宇曽川
宇曽川は、秦川山及び押立山に水源があり、ここ石橋を経て琵琶湖に注いでいる。この川は、古い時代から水量が豊富であったため、舟運が盛んで人や物資のみでなく、重い石も舟運を利用して運んでいた。また木材は丸太のまま上流から流したという。このことから
「運槽川」 と呼ばれていたが、中世になってうそ川と訛ったようである。
歌詰橋
宇曽川に架けられていたこの橋は、かつては10数本の長い丸太棒を土台にして、その上に土を塗りこめた土橋であった。天慶3年(940)平将門は、藤原秀郷によって東国で殺され首級をあげられた。秀郷が京に上るために、中山道のこの橋まで来たとき、目を見開いた将門の首が追いかけてきたため、将門の首に対して歌を一首といい、言われた将門の首はその歌に詰まり、橋上に落ちた。そこがこの土橋であったとの伝説がある。以来、村人はこの橋を歌詰橋と呼ぶようになったのである。
歌詰橋標柱
歌詰橋標柱の後ろにある石部神社御旅所
宇曽川と歌詰橋説明
歌詰花壇
宇曽川
歌詰橋