天稚彦神社由緒

 当社は國史現在社で、第49代光仁天皇天応元年11月に創立せられ、1㎞四方の社地を有していた。神代の昔、天稚彦命は神々と共に当地にお立ち寄りになったとき、風光明媚な日枝の庄を大変称賛されたので、妃の下照姫命が天稚彦命の御遺体を此の地に葬られたのが創祀の始まりと伝えられている。
 戦国時代当地の支配者であった高野瀬備前守その子備中守共に信仰心厚く、社頭も隆盛を極め、この地を通る殆どの武将は、天稚大明神に神饌を供し、勝運を祈願したとも言われている。
 現今も勝運の強い神様として崇拝され、受験生又各候補者の参拝も多く、又厄除け商売繁盛の神様として、御霊験あらたかであります。
 昔より高野瀬・三津・下枝・澤・肥田・大町の総鎮守の氏神様として、御神威益々高く、輝き給う御社であります。

拝殿に掛かる天稚彦神社の扁額

鳥居と常夜燈

愛宕神社

稲荷神社社殿

稲荷神社

明治28年(1895)の天稚彦神社社標

大正4年(1915)の常夜燈

吽形の狛犬

天稚彦神社拝殿

阿形の狛犬

積善之庭

神馬

手水舎