犬上君は滋賀県犬上郡にゆかりのある豪族です。犬上君御田鍬が遣唐使や遣隋使を歴任、犬上君白麻呂が高句麗に派遣されるなど、対外交渉で活躍しました。一族には孝徳天皇の即位儀式に立ち会う者もいました。
 天武天皇13年(684)まで犬上君と称したが、以後朝臣の称号を賜り犬上朝臣と改姓した。
 平安時代のはじめには本拠を平安京に置いていたようですが、その一方犬上郡に住み、犬上郡司をつとめこの地を治める一族がいたことを確認することができます。
 始祖は 「日本書紀」 の景行天皇51年8月壬子条で 「初日本武尊娶両道入姫皇女為妃。生稲依別王。次足仲彦天皇。次布忍入姫命。次稚武彦王。其兄稲依別王。是犬上君。武部君。凡二族之始祖也」 とあります。

犬上神社伝によると
 「稲依別王は一の王子に坐せと天皇の御位には即たまへす近淡海の国にはいり治民の御衛を専とし農事を励ませたまひし、かく農事に心をつくされ民を恵み給うこと深くして王子を尊して 「稲神」 と称え奉りしより王子の子孫世々稲神を姓として稲神の君と申しける。
 領地たる郡の名も稲神と云いけむを後にはイヌカミと云い古き借字により犬上の字さへ鎮まることとなる。」 とあり、伝承記録が残っている。この地より南西30mにある鎮守が犬上神社である。

公園前の墓地入口に建つ南無阿弥陀仏名号碑

犬上の君遺跡公園碑

六地蔵尊

地蔵堂脇の五輪塔

犬上君御館址傳説地碑

犬上君御館址従是東百米八目墓所碑