私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまで遡ります。
 文治元年(1185)源平の争乱の中、屋島の合戦で 「弓矢の名手」 として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民武大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭として、那須城(城跡)を造りこの地を治めていました。
 延応元年(1239)男山八幡宮(京都石清水八幡宮)から勧請した八幡神社と、正嘉2年(1258)に創建した称名寺があります。
 また、江戸時代後期には、街道の往来で賑わう中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿(あいのしゅく)として発展し、立場茶屋が設けられ、旅人や馬の休憩の場として栄えました。
 さらに、中山道の役場前交差点南(小字一里山)には、一里塚が設けられ、高さ丈余の塚で、松が植えられてあって、塚の上から湖水が見えたと、豊郷村史に記されています。

説明板

復元された小さな一里塚

一里塚の郷 石畑

道標

奥は八幡神社社殿

高宮宿 ⇐  石畑(間の宿)  ⇒ 愛知川宿