式内とは、醍醐天皇延長5年(927)12月に撰選せられた延喜式神名帳所載の神社の意。古より朝廷の崇敬殊の外に篤く年々官幣に預かった社である。その数全国で2861社、近江国で155社、犬上郡内で5社、当社はその1社である。
 此の地、安食の名は、当社名阿自岐に由来するもので、食物豊富にて安住できる地の意である。境内より湧出する清水は、深遠優雅なる園地を形成して、古代庭園の様相を伝えるものであるが、湧水は旱魃甚だしき時も、こんこんとして尽きることなく尽きる事なく常に此の地を灌漑して年穀豊かに稔り、文字通り安食の里となした。
 氏神恩恵に報ゆる敬神の花は、自ら咲き出て、天朝に達し官幣に浴したのは、その結実である。
 当庭園は、昭和25年滋賀県文化財名勝に指定された。

 当社には、現在の本殿造営時の見積入用帳を所蔵し、棟札や妻壁板の墨書から、文政2年(1819)に建立され、棟梁は安食西村田中嘉助と今在家村木澤甚六であったことが分かる。
 三間社流造の本殿形式は、全国的に分布して遺構も多い中で、この本殿は小規模で県下の中世に多い正面一間通りに前室を設けている。柱上には台輪を廻し、本殿の中で数少ない尾垂木二手先組物を置いて派手に飾り、蟇股には輪郭が隠れるほど彫刻を施し、尾垂木先端を拳鼻風とした派手な意匠を採用している。
 造営の史料もそろい、意匠や技法に江戸後期の特徴をよく伝えている。
 (滋賀県教育委員会)

 阿自岐神社庭園は、阿自岐神社境内に広がる大きい池と大小の島からなる神苑である。神社境内地のほか周辺部も含め14筆にわたる総面積16,162㎡が指定範囲となっている。
 近くには安食西古墳があり、延喜式神名帳の阿自岐神社二座とみなされることから、渡来系の氏族である阿直史との関係が取り沙汰されたが、庭園の成立事情などは未詳である。池中にはショウズとよばれる湧水があり、これが農業用水池として大いに利用されてきた。
 神社本殿の地は、池が4周を廻る島であったといい、東西の道路ができた際に社前も改修し、池が東西に分かれた。そして6年に渡る庭園整備事業(昭和56年完了)により現況のようになった。
 (滋賀県教育委員会)

阿自岐神社庭園

阿自岐神社庭園

本殿脇の雄鹿

阿自岐神社本殿

本殿脇の雌鹿

神門脇の阿形の狛犬

拝殿内

拝殿

神門脇の吽形の狛犬

社務所

手水舎

御神橋

阿自岐神社本殿説明

阿自岐神社庭園説明

阿自岐神社由緒

神馬

神門