安食西は古くから伝えられているように、応神天皇15年(285)、渡来人阿自岐氏によって拓かれた由緒ある土地である。
この地名については、時代の推移によって大きく変わり 「郷」 については大化の改新後、大宝律令によって郷制が布かれ 「安食郷」 と称されたが、平安・鎌倉以降は
「安食荘」 ともいわれていたことが醍醐寺座主の雑日記、久安5年の条に、また文永6年10月7日の六波羅下知状によって明らかにされている。
なお、「阿自岐の郷」 については区内でも広く知られている後醍醐天皇延長5年に撰選され延喜式神明帳に所載されている安食郷内の産土神を祀る阿自岐神社に由来する呼称と考えられ、前にも記した
「安食郷」 「安食荘」 等、何れも永い歴史の変遷を経た同義語と推考するのが適切である。
私たちのふる里安食西村は、今から約1740年くらい前の応神天皇の御代に、百済から渡って来た阿自岐氏が、生活していく上で一番大切な水に恵まれたこの安食の郷に、農耕の仕事を広めて住みついたところと、日本の古い書物(古事記・日本書紀)にも書かれているように、長い歴史に培われたふる里です。
私たちはこのように、古い歴史と立派な祖先を祭っている阿自岐神社を共に永く後世に伝えたいものです。
人物像は、渡来人阿自岐氏を想像したものです。
阿自岐の郷について
私たちのふる里
阿自岐神社参道脇の石灯籠
阿自岐の郷碑
渡来人阿自岐氏の肖像