地蔵堂正面に向って右側、背の低い如何にも古い時代を偲ばせる石地蔵を 「照手姫笠掛地蔵」 と言う。
 現在はここに祀られているが、元はこれより東、JRの踏切を越え野瀬坂の上、神明神社鳥居東側平地に在った蘇生寺の本尊ということから 「蘇生寺笠掛地蔵」 ともいう。
 中世の仏教説話 「小栗判官・照手姫」 にまつわる伝承の地蔵である。
 常陸国(茨城県)小栗の城主小栗判官助重が毒酒のため落命の危機に遭いながらも餓鬼阿弥となり一命を取留める。これを悲しんだ愛妾照手姫は、夫助重を箱車に乗せ狂女のようになり懸命に車を引張ってここ野瀬まで辿りついた。そして野ざらしで路傍に佇む石地蔵を見つけ、自分の笠を掛けて一心に祈りを捧げたところ地蔵は次のお告げをしたと聞く。
  立ちかえり 見てだにゆかば 法(のり)の舟に のせ野が原の 契り朽ちせじ
 勇気を得た照手姫は、喜んで熊野に行き療養の甲斐あって夫助重は全快したことから再びこの地に来たり、お礼にお寺を建て石地蔵を本尊として祀った。
 これを 「蘇生寺」 という。近くの長久寺(廃寺)の末寺として栄えたが、慶長の兵火で焼失、その後再興されることなく石の地蔵のみ残り、「照手の笠掛地蔵」 として親しまれて来た。この辺りには照手姫に関わる伝承地として道中の長久寺村に 「狂女谷」 が地名として残り、姫の白粉(おしろい)のため水が白く濁ったという 「白清水(しらしょうず)」 などがある。
 以上が柏原に伝わる説話であるが、他所のそれは照手が夫と知らず供養のための車引きであり、青墓から大津までとなっている。
 このように話は若干異なるが、本筋で変わらず夫婦愛に基づき夫の車を引く照手の素朴で庶民的なここの伝承は、もっとも仏教説話に相応しい物語りである。
 最近 「小栗判官」 と銘打って歌舞伎・演劇等上演され、且つ説教節の復活と相俟って説話が有名になって来た。
 美濃国青墓村(現大垣市)には照手姫にまつわる古井戸が残され、旧街道路傍には立派な五輪塔が、姫の墓として伝承されている。

柏原宿並み

照手姫地蔵堂

照手姫笠掛地蔵と蘇生寺説明

地蔵尊

奉納された安産地蔵

移設された竜宝院の地蔵

照手姫笠掛地蔵