鎌倉時代 柏原弥三郎の柏原城跡地に、佐々木京極氏が館・徳源院・墓所設置。
鎌倉の終わり 京極高氏(佐々木道誉)鎌倉幕府の命を受け、後醍醐天皇側近北畠具行卿を斬首。当地丸山に葬る。
室町の初め 京極高氏の命で、箕浦次郎右衛門、柏原代官所を設置。広大な屋敷を設け、菩提寺に長命寺を再興。
室町時代 箕浦代官時代2百数十年。関ヶ原合戦には、柏原宿は戸数500の大きな中世宿場に成熟。
戦国時代 信長・秀吉は成菩提院に、家康は箕浦氏配下西村勘助屋敷に投宿。
江戸の初め(家康の時) 柏原代官所閉鎖。箕浦代官配下鉄砲組・元京極武士団が宿場役人を分担、江戸期柏原宿へ再構築。
江戸の初め(家光の時) 将軍上洛時の休泊施設、柏原御茶屋御殿を西村勘助屋敷に新設。
江戸中期(綱吉の時) 松尾芭蕉柏原宿を通り、伊吹山の句を大垣の句会で詠む。
江戸中期(吉宗の時) 天領から大和郡山柳沢藩領へ。
戸後期 亀屋佐京6代目七兵衛、柏原宿を 「もぐさの里」 と全国に売り出す。
江戸末期 皇女和宮柏原宿本陣宿泊。
明治時代 明治になり、もくさ屋で宿場役人の山根為蔵家が柏原銀行を創業。

柏原宿の略史

中山道分間延絵図(柏原宿東側部分)が貼られている

柏原宿の略史と柏原宿碑

柏原宿入口

柏原宿碑