織田信長は、浅井長政を討つべく、元亀元年(1570)6月19日、浅井浅倉勢が守るこの城と苅安城を攻めた。
 木下藤吉郎・竹中半兵衛の働きで浅井方の鎌刃城堀氏が寝返ったため、長比・苅安の城兵は敗走し、信長は長比に無血入城、一両日滞在した。
 この長比攻めは、姉川の戦いの前哨戦で、本戦である姉川の戦いは、9日あとの28日に始まった。
 信長を狙い本陣に迫り、竹中久作に討たれた遠藤喜右衛門尉直経は、柏原学区須川出身の武将である。

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僅かに残る旧道

平成19年(2007)の中山道碑

長比(たけくらべ)城跡登り口標柱

右側面に 「織田信長「姉川の戦」緒戦の城」 と刻まれている

長比城説明