江濃のくにも親しき柏はらなる岩佐女史に物し侍りぬ
   啼(なけ)よむし 寝もの語りの 栞(しお)りとも (化月坊)

長久寺村
 古昔此の辺りに、両国山長久寺といふ寺ありし故、今村の名となれり。
 近江美濃両国の境なり。
 家数25軒あり。5軒は美濃の国地、20軒は近江の国地なり。
 壁一重を隔て近江美濃両国の者寝ながら物語をすといふ事。畢竟(ひっきょう)相近きの謂なり。両国の境には僅に小溝一を距(へだ)つ。
 5軒の家は美濃なまりの詞(ことば)を用ひ、専ら金を遭うて銀を通用せず。20軒は近江詞にして銀を通用す。
 享保19年(1743)「近江輿地志略」

長久寺説明

寝物語の里看板