近江と美濃の国境は、この碑の東10m余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに 「寝ながら他国の人と話し合えた」 ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(1159)後源義朝を追って来た常盤御前が 「夜更けに隣り宿の話し声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」 所とも 「源義経を追って来た静御前が江田源造と巡り会った」 所とも伝えられている。寝物語は中山道の古跡としても名高く、古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にもここが描かれています。

ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかりに  太田道灌

寝物語の由来碑

永平山妙光寺 寺跡

境内にあった杉の大木