創建年紀は不詳であるが、御祭神は他の若宮八幡神社とは異にしている。当地は壬申の乱(672)の勃発時には、大友皇子の戦線内にあった。そのために恐らく大友軍に関わりを持たざるを得なかったに相違ない。従って、乱以後同天皇を祭神とする祭祀が始まったものと推測され、往古から当地区の氏神として、崇敬の念殊に厚いものがある。
 なお元禄以前の棟札が現存しないのは、関ヶ原合戦時の紛乱によるものであろう。
― 付記 ―
一、寿永元年(1182)、新中納言平知盛社領一貫文寄付
一、寿永2年(1183)、源義経二万余騎上洛の途上、西海合戦勝利祈願のため参拝
一、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際、大谷吉継(合戦直前に吉隆と名乗る)当宮上(古くは山中城とも)に布陣。奮戦の末自害。

手水石

若宮八幡神社由緒

大谷吉継陣跡200m →
松尾山眺望地280m →

宮上 大谷吉隆陣跡標柱

若宮八幡神社社標

南宮大社 ・ 神明神社 ・ 春日神社

本殿覆屋

若宮八幡神社拝殿

若宮八幡神社境内

東海道本線手前の鳥居

若宮八幡神社本殿