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大谷吉隆墓七丁道標
木製道標
関ヶ原宿から今須宿に向かう中山道のうちでも、不破関・藤川と続くこの辺りは、「木曽名所図会」 にも描かれ、歌枕となっていました。
この窪みは壬申の乱(672)のとき、水を求めて、大友皇子軍の兵士が矢尻で掘ったものと伝えられています。
長い年月を経た今では、その名残を僅かに留めているに過ぎません。
(関ヶ原町)
矢尻の池(井)説明
矢尻の池
脇に新道ができるまで水が枯れることが無かったという
明治11年(1878)に坂を開削した時に出土した地蔵と、弘文天皇稜候補地の傍にあった地蔵を合祀している
峠箭先地蔵堂
大谷吉隆墓七丁の道標と地蔵堂