この川は伊吹山麓に源を発し、関所の傍を流れているところから、関の藤川と呼ばれていました。
 壬申の乱(672)では、両軍がこの川を挟んで開戦。更に関ヶ原合戦では、大谷吉継が上流右岸に布陣するなど、この辺りは軍事上要害の地でした。
 また、この川は古来より歌枕として、多くの歌人に知られ、数知れないほどの詩歌が詠まれたことが、世に知られています。
 (関ヶ原町)

上流に国道21号線の鉄橋、その奥に東海道本線の橋脚が見える

藤古川 (関の藤川と呼ばれた)

関の藤川(藤古川)説明