東山道の美濃不破関は、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発(あらちの)関とともに、古代律令制下の三関の一つとして、壬申の乱(672)後に設けられたとされています。
延暦8年(789)に停廃されて後は関守が置かれ、平安時代以降は、多くの文学作品や紀行文に関跡の情景がしきりと記されてきました。
(関ヶ原町)
不破関守跡説明
「木曽名所図絵」 にも描かれている関藤川より、大木戸坂を登り切った辺りのこの一帯が、関守の屋敷跡です。
関守は延暦8年(789)の関の停廃以後に任命されたと考えられます。
関守宿舎は、関庁跡推定地の西南隅に東山道を挟んで位置する段丘際の眺望の良い所にあり、格好な地にあったと言えましょう。
(関ヶ原町)
不破の関跡標柱
不破関舊跡碑
雪炊庵句碑
大友の 王子の王に 点うちて つふす玉子の ふわふわの関
関月亭の庭園
文政3年(1820)の漢文碑
秋風や 藪も畠も 不破の関
みなうつる ちかづきの顔 月見かな
関月亭
関月亭離れ
不破関守址標柱が建つ入口
名月や 雲有りてよし なふてもよし
不破関跡説明
支考句碑
美濃国不破故関銘碑
蜀山人狂歌碑
芭蕉句碑