この辺りに中心建物があったとされ、関内の中央を東西に東山道が通り、その北側に瓦屋根の関庁が設けられ、内部には庁舎・官舎・雑舎等が建ち並び、周辺土塁内には兵舎・食糧庫・兵庫・望楼等々が建っていました。
 ここに祀られている石は、壬申の乱の時、大海人皇子が兜を掛けた石と伝えられ、左斜めうしろには同皇子使用の沓脱石があります。
 (関ヶ原町)

不破関関庁跡と兜掛石説明

大海人皇子の沓脱石

畑の真ん中の小社

不破関庁舎跡の道標

民家脇を通って行く

畑の中に道標が建っている

大海人皇子の兜掛石