地蔵堂内の地蔵尊
集落の道沿いの地蔵堂
慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原合戦のとき、徳川軍に加わった讃岐の領主生駒一政公は、黒田長政公や竹中重門公と共に東軍の最右翼軍としてこの岡山の地に陣を構えた。このとき一政公は、捧持してきた金刀比羅宮(香川県琴平町)の祭神大物主神の御神像を松の枝にかけ戦勝を祈願したと伝えられる。また慶応の時代、関ヶ原の庄屋古山一八が当神社の社殿等を改築したとも伝えられる。その後、商売の神様として関ヶ原村全体の崇敬を受け、金刀比羅講(俗称金毘羅講)が組織され、毎年10月10日、讃岐の本宮に代表者を派遣して神符を奉戴していた。(現在は行われていない)また、社殿等は、大正8年(1919)の遷宮により現在地に移されたとされる。
金刀比羅神社由緒
覆屋の中の金刀比羅神社本殿
社殿前の常夜燈
地蔵堂の脇の五輪塔群
地蔵堂前に建つ岡山東軍烽火場三十間の道標
竹林の間の参道を下って行く