北野神社由緒

 当社は、安永7年(1778)の大火により、由緒等に関する記録を焼失したため、創建年代は不詳であるが、郷土史家が編んだ 「藤井文庫」 によれば、平安朝末期、藤原基清(俗称関ヶ原与市)が、公門に役所を設けたとき、鬼門除けとして、丑寅の方角にある当地に北野天神を祀ったとのことである(1170)。当社には、宮寺として瑞龍寺(曹洞宗)があり、その門前の集落を大門(現・瑞竜)といい、往古は、にぎにぎしく栄えていたという。元禄8年(1695)、瑞龍寺が再興され、当社の社殿修復等は、瑞龍寺住職と大門の世話人によって行われるようになり、今日に至っている。
 なお、菅原道真公といえば、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 の歌にあるように 「梅」 がつきものであるが、当社においても(神酒を捧げる)石鉢などに梅の文様が刻まれている。また天神(天満)様である道真公は 「農耕の神」 としても崇められており、勧請んの際にはそのご神徳にあやかるということもあったと考えられる。

常夜燈

鳥居の下に民家の屋根が見える

竹林

こんなところにも熊が出るのか

北野神社拝殿

本殿