薩摩池
薩摩池説明
関ヶ原の戦いで、島津隊一番備は島津豊久。その横手に山田有栄(ありなが)。義弘本隊はそれより後方のこの地に布陣しました。 西軍総崩れのなか、島津勢のみ戦場にとり残されるや、敢行した壮絶な敵中突破は未だに語り継がれています。 この狭い池は、島津隊が軍用として使用したもので、古来より水の涸れることがなかったといいます。 (関ヶ原町)