御創建の由来
当社の創建は棟札によれば、天正16年(1588)に領主竹中重門が瑞龍庵主の本願により、垂井町岩手の禅幢寺の長老(氏名不詳)に宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の祭神を勧請させたのに始まるとされる。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦によって社殿は焼失したが、徳川家康公より修復の扶持を与えられ、慶長13年(1608)に再建された。その後、幾度か社殿修復がなされ、現社殿は、昭和13年(1938)に改築されたものである。
また摂社の愛宕神社は字宝有地にあったが、明治31年(1898)当社内に移築された。
三尊仏と梵鐘祭神
古くは神は、仏の化身とされていた。当社にも宮寺があって毘沙門天(多聞天)、薬師如来、地蔵菩薩の三尊仏が安置されていた。しかし、明治4年(1868)の神仏分離令により、さる禅寺に預けられ、現在は秘仏として扱われている。また梵鐘は、今須祖父谷の三輪寺に預けられたが、太平洋戦争のとき供出され現存しない。
神池
八幡神社由緒
八幡神社社標
明治43年(1910)の常夜燈
本陣の庭にあったスダジイ
摂社の愛宕神社
拝殿内部
阿形の狛犬
社務所
吽形の狛犬
八幡神社本殿
八幡神社拝殿
手水舎