東町の鳳凰山は、寛政10年(1798)の秋、喜助という大工が棟梁として作り、文政4年(1821)4月大垣の楠屋十太夫塗師により塗箔せられたものである。
 美しく翼を広げた鳳凰は、湖東常喜村の富田新左衛門尉源義綱の作で、精巧優美で目出度く鳳凰の舞う姿は当山のシンボルである。山後座の華頭窓の両側の登り龍、下り龍の彫刻は、吉政の作で見送りを不用とする。
 舞台及び二重、三重の部分の彫刻は、高田の彫師で有名な藤原重興と弟子の佐竹民弥の作が多い。亭には火焔の曲玉を戴き、祭屋台の常識を打破した重文の逸品である。
 前屋形は昭和52年(1977)大垣の田辺塗箔店により修理塗箔をし、襖絵の図柄は佐久間頼峰の 「虎」 と大橋翆石の 「群鶏」 がある。

鳳凰山説明

愛宕神社社殿

垂井曳山祭の山車収納庫

寛政10年(1798)の山車鳳凰山