平安中期、東国の上野介に任命された平忠常は安房の国司を殺害、房総半島を手中にし国家に反抗しました。朝廷は平忠常討伐隊を派遣し3年に及ぶ戦闘の末、ついに忠常は降伏し、都に護送されることになりました。途中、病にかかり何も口にすることができないまま、野上の地に着きました。哀れに思った住民が食べ物をしゃもじにのせ、差し出すと忠常は一気に食べそのまま息を引き取りました。野上の住民はここに塚を築いて弔いました。
 以来、ここを 「おしゃもじ塚」 と呼び、毎年地元で供養をしています。

線路脇に建つおしゃもじ様の道標(説明)

平忠常の墓

五輪塔脇の石仏