古来より野上の氏子は、先人の継承せし尊崇されてきた鎮守の氏神若宮八幡神社に鎮座し給う大神様を仰ぎ奉祀護持につとめてきた。
 美濃国野上の里は、歴史上有名な中山道の宿場であり、不破関と古戦場という二大歴史の舞台を有し、幾度かの決戦絵巻を繰り広げた重要な土地柄であり、大神様の御神威によって、戦禍からこの里を御守護給った霊験あらたかなる神社である。
 当社は古来よりこの地にあったと思われるが、古文書によれば神社創建の記録は解明されていないものの、「寛永13年(1636)子年に造営再建」 とあり、約180年後の 「文化10年(1813)に造営再建」 とある記録が明らかになった。
 以後、約180年を経過し、御社の老朽化により氏子衆望の声が高まり、昭和63年4月深い認識と決断によって、神社御造営の機が熟し、氏子各位の賛意を得て、神社再建委員会を組織し全委員がその準備を進めた。資金面に於いては幸い氏子各位をはじめ篤志により、浄財を仰ぎ崇敬の誠を捧げてきた祖先の遺徳を偲び総力を結集して、神殿拝殿をはじめ神域諸施設の整備等の御造営をして改めて神威を仰ぐこととなった。
 立派な社殿と境内を誇る一大事業の再建遂行には、計画以来4年有余の歳月を経て、氏子多年の念願により竣工を見るに至った。
 時あたかも平成御大典の年に当たり、慶祝の記念事業と重なることとなった。
 仍って浄財御協力を賜った関係各位の御芳名を刻み、この喜びを後世に伝えんとするものである。

若宮八幡神社由来碑

宝永6年(1709)の御神燈

野上整田碑

手水舎

若宮八幡神社鳥居

拝殿

本殿覆屋

宝暦7年(1757)の手水石

山之神神社

若宮八幡神社社標

常夜燈