番の面遺跡は、昭和30年に京都学芸大学(現京都教育大学)により発掘調査が実施され、後方の小高い丘陵から近畿地方で最初の縄文時代中期末(約4000年前)の竪穴式住居跡と多数の土器・石器などが発見されました。
竪穴式住居とは、地面に穴を掘り、その底面を平に整えて床とし、上部に屋根をかけたもので、番の面遺跡で発見されたものは一辺の長さが4m前後の方形をしており、その内に4本の柱と穴と、中央に炉の跡と思われる窪み(0.7×0.5m)が1個ありました。
土器は、中型の甕(かめ)と思われる破片が多く発見されましたが、文様などから関東地方と深いかかわりを持っていたと思われ、また、石器類は、石鏃(矢の先に付けた矢じり)、石錐(いしのきり)、石斧(いしのおの)などが発見されましたが、石鏃の中には中部山岳地産の黒曜石で作られたものも含まれており、広い交流圏を持った遺跡といえます。
(山東町教育委員会)
番の面遺跡説明
杉林に囲まれた街道
街道左手に建つ番の面遺跡標柱
集落跡 番の面遺跡標柱